葡萄
今日は梶井基次郎の「檸檬」を音読した。
実家の浴室で。
新しくはない我が家の浴室は大きな窓が開放的で、家の隅にあり、私にとってはスタジオのような価値がある。しかも、シャワーを浴び、入浴も出来るスタジオ。
歳を重ねる毎に、私は諦めが上手になっているような気がする。
私は暗い文学と暗い音楽と暗い絵画が好きなようだ。
開き直り。
暗いという表現では語弊がある。
落ち着いていること、シンプルであること、過剰でないこと、冷静であること、静かに微笑んでいること。
「檸檬」の話に戻ろう。
檸檬は国語の時間に読んだこともあり、分量も手頃で、まさにレモンのように親しみを持てる作品だと思う。
人生が水だとしたら、悲しみは糖分で、そこにレモンさえあればーー
少しは幸福を感じられるだろう。
今回題名が葡萄なのは、GRAPEVINEというバンドの名前からッス。
バインの名前は高校の頃から知ってた。
せやけどコンプレックスの塊だった私には、それを壊してくれるような音楽しか聴けなかった。学生の頃には聴けなかった。バインの曲は。GRAPEVINEが奏でるのは、そんな音楽です。
自分や、自分の身近なものと向き合わせてくるような。
まぁ何というか和将さんが格好よいのです。 それだけです。 "じゃあまたおやすみこの世界"